2 Call me


たしぎの膝が癒えた頃、二人は再び顔を合わせた。


「待ちなさい!」
凛としたたしぎの声に、迷いは感じられなかった。

振り向いたゾロは、黙って雪走を抜いた。




はっ、はっ。
数分後、たしぎは、荒い息で両手を地面についていた。
ゾロは、うっすらと汗ばんだたしぎの首筋を見下ろしている。

ただ強くなりたいと、純粋な想いが伝わってきた。
昔、くいなに繰り返し挑んだ頃の想いが甦る。
あいつも、今のオレのように、嬉しかったんだろうか。
ふっとゾロの顔が緩む。

ゆっくりと立ち上がったたしぎの顔は、今にも泣きそうだった。
チッ。
ゾロは、心の中で、舌打ちをする。

また、そういう顔をする。



気が付けば、俯いて立ち去ろうとするたしぎの腕を掴んでいた。



*****


どうして、この手を振りほどかないんだろう。

ゾロに連れられて、宿屋に入った。
バタンと、戸を閉めると同時に、ロロノアに抱きしめられる。

頭の奥で、警報が鳴る。
このままじゃ、いけない。


ゾロの節くれだった指が頬をなぞり、
首筋に唇が触れる。

ゾクッ。

全身が痺れるような、そんな感覚に
立っているのもやっとだった。


離れることも、身体を委ねることもできずに
目を閉じた。

これは何かの罰なんだろうか。
ぼうっとする頭で考える。


お願い、私に気付かせないで。
身体の奥で疼く、この熱を。
これ以上、認めたくない。


ぐっと目を見開くと、ゾロの腕にしがみつく。
指先が白くなるほど、力を込める。



私は、あなたに全てを許した訳じゃない。


痛て。

急に身を強ばらせるたしぎを前に、ゾロの眉が少し動いた。

何だよ、急に。

嫌なら、あそこで帰れた筈だ。ついて来たのは、お前の意思じゃねぇのか。


睨みつけた黒い瞳は、ゾロを真っ直ぐに捉えていた。

面白くねぇ。


たしぎの頑なな態度がゾロを苛つかせる。




*******


まるで取っ組み合いの喧嘩をしているようだった。



ゾロの受け入れてもなお、それを許さないかのように、
拳を握り、ゾロの胸をどんどんと叩く。
「ふあっ!」
深く突かれ思わずしがみ着いた腕に、今度は爪を立てる。

身体を起こして、正面で抱きとめれば、肩に歯を立てる。


ことごとく、拒否するたしぎの態度に、ゾロは戸惑いを覚えた。


たしぎは、快感と思考の狭間で、揺さぶられ、
もうどうしていいか、解らなくなっていた。

「こ、こんなの・・・イヤ・・・」
自分に向けた言葉が、思わず口から漏れた。


ゾロの動きが止まる。
その異変に、たしぎも瞑っていた目を開ける。

のぞき込むように、ゾロが見つめていた。

「オレを、恨むか?」

静かに問いかけるゾロの顔を、まともに見ることが出来ない。

半分泣きそうになりながら、首を左右に振る。
「ち、ちがっ、そんなんじゃなくて・・・」

自分が壊れていきそうで、怖い。
そんなことは、口に出せなかった。

「たしぎ」

名を呼ばれ、驚いて顔を上げる。

「たしぎ」
確かに目の前の男から、発せられた言葉だ。

少し困ったような顔で、たしぎを見つめている。

「たしぎ」

もう一度、呼ばれる。

じんわりと安堵にも似た嬉しさが込み上げる。

自分を見失いそうなお前の名を呼ぶ。
その真っ直ぐな瞳で、オレを見ろ。


自分でも解らなかった、私の求めていたもの。
それでもいいと言って欲しかった。

あなたの呼ぶ声が、私を救い上げる。



たしぎの柔らかい笑みを見たゾロは、
やっと胸のつかえが取れたようだった。


「たしぎ」
顔を寄せ、耳元で囁く。

たしぎが、照れくさそうに、笑った。


抱えていたたしぎを、ゆっくりとベッドに横たえる。
手を重ね合わせ、指を絡める。


「ロ、ロロノア。」
ゾロに応えるように、たしぎが名を呼ぶ。

胸の傷が疼いて、一気に熱を帯びる。


押さえていたものが、一気に溢れ出るように、
二人を熱くする。

「ロロノア。」

遮るものは何もない。
全部、手放してしまおう。
たしぎは目の前が真っ白になった。


たしぎの身体から、ガクンと力が抜け、ゾロの腕の中に崩れ落ちる。

余韻に浸る間もなく、ゾロの動きに煽られて、
夢中で、ロロノアの名を呼んだ。


熱いほとばしりを身体の奥で感じた瞬間、
背中にまわした手で、ゾロをしっかりと抱きしめていた。




******


自分の腕の中で、寝息を立てるたしぎを
ゾロは静かに見つめていた。

無防備な寝顔。

たしぎに名を呼ばれた時、胸が熱くなった。
微笑んでくれた時、戸惑いは消えた。

たぶん、こいつは、いろんなものを抱えているんだろう。

ゾロに、ようやく、たしぎの立場を慮る気持ちが芽生えた。
面倒くえせぇと思う気持ちと、それでも、構わないと思う気持ちが
同時に湧き上がる。

ただ、腕の中の温もりを、このまま離したくないと思った。



*******


ベッドで無防備に寝息をたてているゾロを
たしぎは、腕に抱かれたまま姿勢で眺めていた。

あぁ、こんな顔で眠るんだ。

案外、かわいい。
思った自分がおかしくて、笑ってしまう。

そっとゾロの腕を外し、起き上がる。



身支度を終え、時雨を手に取ると、寝ているゾロを振り返る。

「今度会ったら、必ず、捕まえますから。」

そう言うと、くるりと背を向け、ドアを開けた。


******


夜明け前の空気が、たしぎを包み込む。
顔を上げ、背筋を伸ばす。


あなたの前では、私の決意など、簡単に崩れ去ってしまうんですね。
悔しいです。

悔しいけど、認めます。

自分の弱さを、女の私も、受け止めることにします。



誰に言うわけでもなく、一人、心に誓うと
ぐっと、時雨を握り締めた。



*******


何だよ、捕まえるって。

たしぎの別れ際の言葉を思い出し、ゾロは笑っていた。
海軍の顔だった。


来るなら来い。
いつでも相手してやる。

ベッドから起き出し、ふぁ〜〜〜〜っと大きな欠伸をする。

三本の相棒を腰に差すと、ゆっくりと部屋を後にした。

どんな顔でもいい。今度はいつ会えるだろうか。
いつしか、追われることを、心待ちにしている自分に気づいた。



〈続〉


全てを包み込んで、名前を呼んで