たしぎの膝が癒えた頃、二人は再び顔を合わせた。
「待ちなさい!」
凛としたたしぎの声に、迷いは感じられなかった。
振り向いたゾロは、黙って雪走を抜いた。
はっ、はっ。
数分後、たしぎは、荒い息で両手を地面についていた。
ゾロは、うっすらと汗ばんだたしぎの首筋を見下ろしている。
ただ強くなりたいと、純粋な想いが伝わってきた。
昔、くいなに繰り返し挑んだ頃の想いが甦る。
あいつも、今のオレのように、嬉しかったんだろうか。
ふっとゾロの顔が緩む。
ゆっくりと立ち上がったたしぎの顔は、今にも泣きそうだった。
チッ。
ゾロは、心の中で、舌打ちをする。
また、そういう顔をする。
気が付けば、俯いて立ち去ろうとするたしぎの腕を掴んでいた。
*****
どうして、この手を振りほどかないんだろう。
ゾロに連れられて、宿屋に入った。
バタンと、戸を閉めると同時に、ロロノアに抱きしめられる。
頭の奥で、警報が鳴る。
このままじゃ、いけない。
ゾロの節くれだった指が頬をなぞり、
首筋に唇が触れる。
ゾクッ。
全身が痺れるような、そんな感覚に
立っているのもやっとだった。
離れることも、身体を委ねることもできずに
目を閉じた。
これは何かの罰なんだろうか。
ぼうっとする頭で考える。
お願い、私に気付かせないで。
身体の奥で疼く、この熱を。
これ以上、認めたくない。
ぐっと目を見開くと、ゾロの腕にしがみつく。
指先が白くなるほど、力を込める。
私は、あなたに全てを許した訳じゃない。
痛て。
急に身を強ばらせるたしぎを前に、ゾロの眉が少し動いた。
何だよ、急に。
嫌なら、あそこで帰れた筈だ。ついて来たのは、お前の意思じゃねぇのか。
睨みつけた黒い瞳は、ゾロを真っ直ぐに捉えていた。
面白くねぇ。
たしぎの頑なな態度がゾロを苛つかせる。
*******
まるで取っ組み合いの喧嘩をしているようだった。
ゾロの受け入れてもなお、それを許さないかのように、
拳を握り、ゾロの胸をどんどんと叩く。
「ふあっ!」
深く突かれ思わずしがみ着いた腕に、今度は爪を立てる。
身体を起こして、正面で抱きとめれば、肩に歯を立てる。
ことごとく、拒否するたしぎの態度に、ゾロは戸惑いを覚えた。
たしぎは、快感と思考の狭間で、揺さぶられ、
もうどうしていいか、解らなくなっていた。
「こ、こんなの・・・イヤ・・・」
自分に向けた言葉が、思わず口から漏れた。
ゾロの動きが止まる。
その異変に、たしぎも瞑っていた目を開ける。
のぞき込むように、ゾロが見つめていた。
「オレを、恨むか?」
静かに問いかけるゾロの顔を、まともに見ることが出来ない。
半分泣きそうになりながら、首を左右に振る。
「ち、ちがっ、そんなんじゃなくて・・・」
自分が壊れていきそうで、怖い。
そんなことは、口に出せなかった。
「たしぎ」
名を呼ばれ、驚いて顔を上げる。
「たしぎ」
確かに目の前の男から、発せられた言葉だ。
少し困ったような顔で、たしぎを見つめている。
「たしぎ」
もう一度、呼ばれる。
じんわりと安堵にも似た嬉しさが込み上げる。
自分を見失いそうなお前の名を呼ぶ。
その真っ直ぐな瞳で、オレを見ろ。
自分でも解らなかった、私の求めていたもの。
それでもいいと言って欲しかった。
あなたの呼ぶ声が、私を救い上げる。
たしぎの柔らかい笑みを見たゾロは、
やっと胸のつかえが取れたようだった。
「たしぎ」
顔を寄せ、耳元で囁く。
たしぎが、照れくさそうに、笑った。
抱えていたたしぎを、ゆっくりとベッドに横たえる。
手を重ね合わせ、指を絡める。
「ロ、ロロノア。」
ゾロに応えるように、たしぎが名を呼ぶ。
胸の傷が疼いて、一気に熱を帯びる。
押さえていたものが、一気に溢れ出るように、
二人を熱くする。
「ロロノア。」
遮るものは何もない。
全部、手放してしまおう。
たしぎは目の前が真っ白になった。
たしぎの身体から、ガクンと力が抜け、ゾロの腕の中に崩れ落ちる。
余韻に浸る間もなく、ゾロの動きに煽られて、
夢中で、ロロノアの名を呼んだ。
熱いほとばしりを身体の奥で感じた瞬間、
背中にまわした手で、ゾロをしっかりと抱きしめていた。
******
自分の腕の中で、寝息を立てるたしぎを
ゾロは静かに見つめていた。
無防備な寝顔。
たしぎに名を呼ばれた時、胸が熱くなった。
微笑んでくれた時、戸惑いは消えた。
たぶん、こいつは、いろんなものを抱えているんだろう。
ゾロに、ようやく、たしぎの立場を慮る気持ちが芽生えた。
面倒くえせぇと思う気持ちと、それでも、構わないと思う気持ちが
同時に湧き上がる。
ただ、腕の中の温もりを、このまま離したくないと思った。
*******
ベッドで無防備に寝息をたてているゾロを
たしぎは、腕に抱かれたまま姿勢で眺めていた。
あぁ、こんな顔で眠るんだ。
案外、かわいい。
思った自分がおかしくて、笑ってしまう。
そっとゾロの腕を外し、起き上がる。
身支度を終え、時雨を手に取ると、寝ているゾロを振り返る。
「今度会ったら、必ず、捕まえますから。」
そう言うと、くるりと背を向け、ドアを開けた。
******
夜明け前の空気が、たしぎを包み込む。
顔を上げ、背筋を伸ばす。
あなたの前では、私の決意など、簡単に崩れ去ってしまうんですね。
悔しいです。
悔しいけど、認めます。
自分の弱さを、女の私も、受け止めることにします。
誰に言うわけでもなく、一人、心に誓うと
ぐっと、時雨を握り締めた。
*******
何だよ、捕まえるって。
たしぎの別れ際の言葉を思い出し、ゾロは笑っていた。
海軍の顔だった。
来るなら来い。
いつでも相手してやる。
ベッドから起き出し、ふぁ〜〜〜〜っと大きな欠伸をする。
三本の相棒を腰に差すと、ゆっくりと部屋を後にした。
どんな顔でもいい。今度はいつ会えるだろうか。
いつしか、追われることを、心待ちにしている自分に気づいた。
〈続〉